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プロフィール

 藤井奈生子(メゾソプラノ)

Author: 藤井奈生子(メゾソプラノ)
 埼玉県大宮光陵高校音楽科卒業後、東京音楽大学及び大学院声楽科卒業。その後、オーストリア国立モーツァルテウム音楽大学大学院リート・オラトリオ科、ドイツ国立カールスルーエ音楽大学リート科卒業。
 第43回全日本学生音楽コンクール第1位。第6回国際モーツァルトコンクール奨励賞受賞。第10回セギッツィ国際室内楽コンクール・歌曲部門第3位。
現在、東京音楽大学、東京音楽大学付属高校、埼玉県立大宮光陵高校音楽科、茨城県立水戸第三高校音楽科各講師。

お知らせ
■CD発売中!■
藤井奈生子
メゾソプラノ・リサイタル vol.14
~夕べの幻想 Abendphantasie~

2000円(税込)
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yof85konzerte@yahoo.co.jp
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プログラムノート (リサイタル 2015)

プログラムノート


ヨーゼフ・ハイドン (1732-1809)は古典派時代を代表する作曲家であり、交響曲や弦楽四重奏曲を多く作曲した。歌曲も現存する作品で45曲あるが、当時は社交的な機会に作曲され、家庭で楽しむためのものがほとんどである。しかし、今回演奏される英語による歌曲は、彼の晩年に差しかかった1794年から1795年のイギリス訪問中に作曲され、(モーツァルトはすでに他界)それまでのようなピアノパートの右手が歌のメロディーと重なる手法ではなく、それぞれが独立したパートで成り立ち、ピアノパートも詩に添い重要な役割を果たすようになった。またメロディーを繰り返す有節歌曲(《人魚の歌》)のみならず節が進むごとに色合いが変化していく通作歌曲 (《彼女は愛を打ち明けなかった》《おお、美しい声よ》)も多作されるようになった。また有節歌曲においても、間もなく歌曲の全盛期となるシューベルトを感じさせるような作品、しいては内容的にはロマン派を超えて近現代を思わせる歌曲(《さすらい人》)が登場している。



フランツ・シューベルト(1797-1828)は独唱歌曲の全盛期を築いた。
最初に有名な2曲が今晩は演奏される。ドイツの冬は鬱々として長い。不安に満ちた貧しい心も春の訪れとともに全てが変わるに違いないと歌う「春への信仰」。シューベルトは作品1から108までを自費出版するために自分で編纂した。「音楽に寄す」が作品88に編纂された時は、時はすでに晩年に差しかかった時期で、歌曲集《冬の旅》が作曲されており、彼の個人的な人生に対する想い、絶望的な憧憬、この世では決して味わうことのない天への慰めに満ちた希望がその頃の歌曲には顕著に表されている。芸術に対する感謝を歌ったこの曲も終始ピアニッシモからピアノへのクレッシェンドと簡素なダイミニクスが記されている。
作品59は1823年にツィフスを患った病の後に作曲され、同じ年に歌曲集《美しき水車小屋の娘》が作曲されている。作品59のそれぞれの歌曲は取り出して歌われることが多いが、シューベルト自身が編纂したツィクルスとして全体を見るとそこには深い絶望が横たわり、一つのいわばリートオペラを創り出している。
一曲目の「あなたは私を愛していない」で、失恋の現実が突きつけられ、呼吸もままならない終わることのない切り裂かれた心が歌われる。それに対して続く「それらがそこにあったことを」では、残香で恋人がそこにいたことを感じ、涙で自分がそこにいたことを知らせ、同じ時同じ場所で出会えなかったにも関わらず、美と愛があったことを繊細に、憧憬を冒頭の神秘的な和音から表現している。「あなたは安らぎ」では、すでに自分の目の前から去った彼女に想いを残し、決して終わることのない憧れと失った安らぎを探し求める。それはピアノパートの繰り返す3度の音形に失った心のバランスをも一度取り戻そうとする表現が表れている。たとえ、もう帰ることはなくても、この心の中に彼女の光だけを見出したいと願う。(が、叶えられないことはすでに1曲目でわかっている)4曲目の「笑いと涙」は、前奏から息つく間のない、めくるめく音形が続き、重なるドの音が頭痛のように打ちつけられ、自分で自分がわからなくなり、いわば錯乱の状態となる。この曲は単独で演奏されると、
軽く恋の様々な感情を楽しげに歌われるが多いが、ツィクルスで全体を通すと全く違う表象となる。


グスタフ・マーラー(1860-1911)の《リュッケルトの詩による5つの歌曲》は1901年に作曲された。この曲集は連作ではなく、内容はそれぞれ独立している。その年、マーラーは大病を患い、また3年勤めたウィーン宮廷歌劇場の芸術監督も騒動のうちに辞任、疲れ果てた後、オーストリアのヴェルター湖畔の山小屋の美しい自然の中で簡素な形式のこの歌曲集を創作した。「私は仄かな香りを吸い込んだ」は、恋人にもらった菩提樹(Linde)の小枝の漂う香りが仄かに(lind)優しく(gelind)漂うと、言葉合わせで作られた耽美な歌曲。「美しさゆえに愛するなら」は、リュッケルトの詩集『愛の春』から採られた曲で、元々リュッケルトの恋人ルイーゼへの愛を歌ったもの。マーラーも翌年結婚するアルマにこの非常にロマンティックな歌曲を捧げたと言われている。
「私の歌を覗き見ないで」は歌を作る時の心情を歌った、歌について歌った歌曲。どこかユーモラスな詩で、ピアノパートは蜜蜂の音を表している。
「私はこの世に捨てられ」はマーラー自身がこの詩の内容に捕らえられ、徹頭徹尾自分の心情を表していると明言した。この世の雑踏からはなれ、自分の中にある天国、いのち、歌に一人生きるのだと魂の深淵を吐露した歌曲。
「真夜中に」は、孤独と苦悩の中目覚め、不安な心の動揺を表すが、最後に全てを生と死を超えた神の手に委ね、勝利を得て、神への賛美でこの歌曲集を終える。

アレクサンダー・ツェムリンスキー(1871-1942)は、ウィーンに生まれ、亡命先のニューヨークで没した。幼少期はシナゴーグで、オルガンを弾いて、並外れた音楽の才能を発揮した。
ブラームスは彼の才能をいち早く見出し、作曲コンクールで受賞させ、作品の出版の手助けをしたほどだ。シェーンベルクはツェムリンスキーが唯一の教師であり、基本的な作曲技法を身につけた。シェーンベルクが無調音楽に向かっていったのと対象的に、彼は調性を保ちつつ、19世紀後半から20世紀初頭の爛熟した後期ロマン派と世紀末的な混沌とした色合いを描き続けた。
またマーラーもツェムリンスキーのオペラの上演に尽力した。今回演奏される歌曲は、初期のものであり、ロマン派のシューマンやブラームスの作風に従い(壮大な「塔守りの歌」は、親しみやすいハーモニーを用いて耳に心地よい)、詩もロマン的なもの(「おお葉よ、枯れた葉よ」「花咲く木々の下で」「聖なる夜」)が多いが、作曲技法は独特な手法で半音階、不協和音などを用い、個性的なハーモニーにより、色彩豊かで耽美的な歌曲(「呼びかけ」「バラのイルメリン」)も演奏される。「呼びかけ」「バラのイルメリン」を含む作品7は、弟子の一人だったアルマ・シントラー(後にマーラーと結婚する)に愛の表れとして献呈された。

解説: 藤井奈生子
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